お店の話   第5話

お店の話 第5話                


店主「やあ、拓君、こんにちは。」


拓「いつも貴重なお話を聞かせていただきありがとうございます。今日ぜひ伺いたいのは、サラリーマンを脱サラして今のお仕事を始められたのですか?」


店主「ピアノバーで会ったときはまだ40歳のころだから、それから20年後の定年退職した後に始めました。」


拓「私も、今はサラリーマンやっていますが、時々転職も考えているんですよ。家内には内緒ですが。人生の折り返し点に来てみて、これからどうしたらよいか、私にとってすごく興味があるテーマなんです。」


店主「今とは労働市場はかなり違っていると思うし、当時の考え方が古かったのか、定年まで勤めるのが当たり前だった時代なので、転職は全く考えていなかったですよ。」



拓「じゃあ、定年退職って、60歳で始められたんですか?」


店主「定年退職して数か月後に、オーストラリアの思い出を辿るという、いわゆる「ノスタルジア旅行」をしたんですよ。一人旅でした。ワイナリーをやっているニールとメルボルンの「Taxi」というマレーリバーに面した有名なレストランで食事をすることにしたんです。席に着こうとしたら、「ニールが日本人ぽい人がいるよ、あのシェフの寿司は旨いよ。」と教えてくれたので、カウンターの中で働いている彼に「今日は」って声をかけたらわざわざ挨拶に来てくれて、仕事が終わってから3人で会うことにしたんです。人の「縁」というのは面白いですね。」

拓「その日本人ぽい人とニールさんとはお知り合いだったんですか?」


店主「荒金育英というシェフなんだけど、ニールは話したことはなかったらしい。その週末は私がニールのワイナリーに宿泊しているので家族で来ないかとニールが誘ったら、二つ返事で行くことになって、週末に「レッドバンク」というニールのワイナリーで合流したんです。」

拓「急展開ですね。映画を思い浮かべるなあ。」



店主「そうね。今思うとなんだか、シナリオに描かれていたみたいな気がするほど、自然に流れていたような気がするなあ。シェフの家族は奥さんと子供が3人の一家5人で、40歳のころここにやってきたうちの家族と同じような年齢構成だったなあ。
私は、ブドウ摘んだりしてワイナリーに残り、シェフはメルボルンに帰って、その次の週末に私が帰国するので、またメルボルンで会うことにしたんです。
中華街にある「Shark Fin Inn」というレストランで、ニールはおなじみの顔らしく自分のワインを持ち込んで、水槽で泳いでいたカニやイセエビを食べながら、酔うほどに話が進んで、私がこんな話を始めました。
実は、今回の旅行は、もしかして自分もワイン畑を持って小規模ながら作ってみたいと夢を膨らませて来ました。ところが、現実的に考えてみて、それは不可能だと確信しました。年齢的なこともあるけど、規模が小さければ小さいほど、経済効率が悪いと気が付いたことでした。つまり、最低でも、土壌を作るためのブルドーザーや、ブドウを運ぶトラック、
ブドウを破砕する機械、発酵させるためのステンレススティールと、熟成させる木樽などなど、規模にかかわらず必要なものはそろえなければできない。その上に、収穫時には現地の労働者を集めなければならない。そんな交渉力があるかと言えば、外国人の私には難題となろう。
と、そこまで話したらよく聞いていてくれて、だけど私は、自分で積んだブドウが発酵されてできたワインを、この素晴らしい味のワインを日本の人たちに伝えたい!
と言ってしまった。
そしたら、ニールが「自分で輸入して日本で販売したらいいじゃないか。」というと間を置かずに荒金シェフも、「それがいいですよ。私もできる限りお手伝いします!」
断る言葉が出てこない私に、二人が握手を求めてくるじゃないですか。
ここで、半分心が決まったような気がしました。


拓「でも、奥様はまだ何も知らないのですよね?」


店主「その通りです。帰国してからそのことを家内に話しました。」

拓「奥様の反応はどうだったのですか? はっきり言って私にはそんな勇気はないですよ。」


店主「今日はこの辺にしておきましょう。」


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